君が君であるために
須藤晃(プロデューサー・音楽監督)
平成から令和に変わる。昭和が終わり平成になり、20世紀から21世紀になり、時は誰にでも平等に同じように過ぎていく。昭和の終わりに出現して突風のように駆け抜けて平成がまだ落ち着かないうちに消えてしまった孤高の天才尾崎豊。令和を前に再び彼を評価する声が高まっている。
僕がまだ高校生の頃には石川啄木や中原中也や萩原朔太郎という詩人に夢中になって毎日夕日に向かって詩集を読んだ。考えてみれば、その明治生まれの偉大な詩人たちも僕が高校生の頃はまだ没後50年ほどしか経ってなかったし、中原中也や朔太郎は30年も経過していない頃である。尾崎豊がなくなって27年だとすれば、今の中高生が彼の音楽を聴くことは僕にとってのそういった経験に近いのかもしれない。詩人たちがもしギターやピアノを手にして作品を発表しレコードというメディアがあったとしたら、僕は同じように貪るように聴いていたということだろう。今の若者たちが尾崎豊の歌を探し求める現象には驚きと感動がある。
尾崎裕哉はその父親との時間を長く過ごすこともなく彼の残した曲を聴きながら育った。息子にとっては父親の歌だけがストレートに繋がった静脈と動脈のようだった。そして尾崎裕哉は導かれるように音楽の道を歩み始め、新しい彼自身の作品を紡ぎ出している。
二人の「OZAKI」の共通点は、自分のためにではなく、救いを求める人の手をいつも探して、その人達のために歌うということだと思う。それは自分自身をも含めた、一生懸命生きようとするすべての人に向き合っている。生きることが難しい時代や社会に、凛として胸を張る存在が必要なのである。「僕が僕であるために」というメッセージはいま「アンセム」という形で時代の規範になる。
「僕が尾崎豊を歌い継いでいくことに喜びを感じます。そして父親が残したこと、やれなかったこと、全てを受け止めて、自分らしく生きていきたいです」
フルオーケストラでの夢のような幻想曲たちがまた奇跡をおこす。サントリーホールという最高の舞台で最高の環境で尾崎裕哉が繋ぐ歌の力を目撃したいと思う。
◆須藤晃 すどうあきら
音楽プロデューサー。富山県出身。東京大学文学部英文科卒。
尾崎豊、村下孝蔵、玉置浩二、石崎ひゅーいらの制作パートナーであり、富山オーバード・ホール芸術監督を務めている。